ではなぜ>>3:140が非凡なのか?
話者がスナック感覚で食べているカツオブシが体内に混入する、という独創的な設定が「血液に旨味が出る」「肝臓にダシガラがたまる」という描写によって具体的に読者にイメージ出来る。
この「カツオブシ味の人間」である事の良し悪しを医師から諭されるという情景が「食肉として管理されている」話者の設定としてすっと入って来る。
判定やIDカードなどのSFガジェットをプレミアムフライデーやスーパーなど生活感のあるエピソードで挟んでいるのも上手い。
この生活観の描写で話者は「食肉として管理されている」が「人間としての人生を生きている」存在であることが読者にハッキリ伝わる。
ここまでのイメージの蓄積の上で初めて
「私の心は軽かった。当然だ。肝臓が治るまでは生きていられるのだから。」という締めが読者に共感されるようになっている。