《おしまいのし》
信じられることは幸せな感触なんだろうなと思う。居合わせた人生は手を広げて笑っていて進めない。合わせ鏡で行く手を阻むからだ。ところで人間は鏡のようなんだってな。要は自分と似たような問題点を抱える人間に惹かれ合うということ……そういう事を言いたいらしいけど、そんなの正気かな?
躓いて手をついた先の下卑た笑いは僕のものだっていうのか?
お前の問題を分かち合おうとするのは悪いクセでは無いですか。個人主義なき全体主義なんてイースターエッグ、つまりそれほどハッピーセット。栄養価流れちゃって満足感しかねぇじゃん。可愛そうねって言うならお前の信じた5センチの札束お住まいの市区町村に従って包んで頂戴。