266 【屁理屈推理合戦】魔女のチェス盤
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令嬢 名取
[見舞いにはほぼ毎日誰かが来てくれる。
孫娘、ひ孫たち、そして娘。
だが、ここ数年、娘は自分の顔を見る度に顔を顰めて。
見舞い品を渡し、連絡事項をやり取りした後はすぐ帰っていった。
いつだったか、数日間昏睡状態に陥った時のこと。
なんとか息を吹き返し、涙に滲む視界が最初に捉えたのは。
忌々しげに自分を見下ろす彼女の顔だった。]
[親として最上の愛を注いできた自信はない。
片親ということで、だいぶ我慢もさせたと思う。
嘗ての自分のように冷たい仮面を常に被り。
余裕ぶった態度で古狸どもを相手取る姿に、自身の血を感じる程。
――自分なりに、愛したつもりであったのだけども。
……誰に吐くこともできない弱音は
老婆の心が朽ちていく速度を速めていく。]
令嬢 名取
[だから、もういいのだ。
これ以上、愛する娘の負担になるのならば。
もういいのだ、と。
母を失い、伴侶を失い、己が道をひとり歩んできた女は、静かに目を閉じ―
あの、奇妙な宴に招かれた。]
令嬢 名取
[意識の海から浮上する。
瞼を刺す照明。
規則正しく動く呼吸器のポンプ。
…誰かが泣き叫ぶ声が耳をつんざいた。
そして、左手を包む誰かの、濡れた両手。]
令嬢 名取
―ごめんね、ごめんねお母さん。
[ぽた、ぽたと生暖かい液体が手の甲を濡らす。]
お母さんが苦しむのを、もう見たくなかった。
死に向かうお母さんを見るのが、辛かった。
だからずっと冷たい態度を取っていたの。
そうしたほうが楽だったのよ。
でも―
お母さんが蘇生を拒否したって聞いて
ハッキリわかったの。
令嬢 名取
「―はい、申し訳ありません。
奥様はまだ本調子ではございませんので
日を改めて、こちらからご連絡差し上げます。」
[漆塗りの小箱の蓋を閉じると同時に、
社長時代から秘書として仕えてくれている黒松が通話を終えた。]
令嬢 名取
[あれから一か月。
リハビリと食事療法で、衰えた体力を取り戻そうとする日々を送っていた。
不思議なことに、ここ数か月は手に取るのも億劫だった本を
また貪るように読み続けたいと思う程に、気力も充実していた。
心と体は密接に繋がっていると言われているが、
自身が体験するとなると、また違った驚きがある。]
「それと、例の猫の件ですが―
駅近くの山の林の中で、それらしき猫の遺体を見つけたとのことです。」
…そう。
じゃあ、先に伝えた通り、霊園に弔うように。
令嬢 名取
[失礼します、と病室を後にする秘書を見送ると。
古ぼけた手紙の一片を封じた小箱を、暗証番号の鍵つき金庫に入れた。
学者の求めには、応じていない。
だが、拒否もしていない。
のらりくらりと追及を交わし続けている。
少女の身に起きた悲劇。
少年に贖罪を背負わせた真相。
幻想の霧を晴らすか否かは
遠くない未来にこの世を去る自分が決めるべきではないのだ。
決めるべきは――
後の世も歩み続ける若者たちである。]
令嬢 名取
[金庫の暗証番号は、母が自分にそうしたように、自分の死亡が確認され次第、娘に伝えることになっている。
娘とは、あの出来事の直後こそぎこちなかったものの、最近では自分の大好物であるおやきを手に何かと理由をつけては顔を出してくれる。
自分と同じ選択をするだろうと感じつつも、違う選択をしても後悔はしない。]
盲目 エリシュカ
自殺しようと、近辺整理をしている時、それを見つけました。
「ふたりのぼうけん」
それはとても汚くて、懐かしい、二人で作り上げた交換日記のような二人を絵本の中の主人公として描いた作品。
彼女が病気で死亡してからずっと開いてこなかったこの絵本、もう内容も覚えていません。
なんとなく、読んでみたくなって一から読みはじめてみれば、それは読めたものなんて言えるほどもなく、ただただ子供の遊びでした。
でも、なぜだかページをめくる手は止まらずに、いつの間にか最後の彼女が描いたページまで来ていました。
きっと、下らないことなんだろうな、なんて思っていました。
それを見るまでは。
「まだいきたい」
幼い彼女なりの、言葉。
辛いのにいつも笑顔で強かった彼女の弱いところ。
いつの間にか溢れた心が文字を濡らして行きました。
感情を洗い流すように、大きな声で悲しんで、気づけばもう自殺しようなんて思っていませんでした。
盲目 エリシュカ
「…………やっとだ、やっときた」
手元にある絵本は、二人で作り上げた絵本よりもキレイで昔よりも絵も上達していました。
あのあと見つけた絵本を元に、内容はそのまま、絵と子供の間違いを直して、本当の絵本にしました。
それが、世界中の人に届いて、彼女が世界中の人の本の一部の人の中で生きていて欲しいと願って。
……………本の名前は「盲目のエリシュカ」。
きっと、彼女は人々の心の中で生きていけるでしょう。
そして、『僕』だって。
彼女と共に人々の心の中でも生きている。
オペレーター ゆかり
[エリュシカーー神崎恵里佳の病院へ向かう足取りは、どこか上の空。
夢から醒める前のことを思い出して、少しだけ思考を巡らせる。
再会した直後、性癖(？)の話で盛り上がった普通に仲良くなった。
(自分の顔を見ても反応しなかったので忘れたのかと身構えたのは内緒である。)
それから見舞いの回数を重ねる度に、あの夢の茶会の最後について思い返すことが多くなった。
最初、彼女は目の代わりである“杖”をついていた。
しかし、紙を渡された時には持っていなかった>>-0。
あの時は咄嗟のことだったし、何より恵里佳の名前の方に気を取られていた。何より彼女が己自身を剣で貫いたものだから>>5、驚いて気にも止められなかった。
気付いたのは現実でエリシュカと会った後だった。]
オペレーター ゆかり
…………。
[“彼女”は一体何だったのか。
推測は色々たてられるけど、夢の中のように赤き真実は返ってこない。
どれ程推測を重ねても、ヒントがなければ真実に至ることはないまま。
確実にわかるのは、“彼女”に文字通りエリシュカを託されたのではないかと言うことだけ。]
オペレーター ゆかり
仮に二重人格だったとして。
わたしは気にしなかったのだけれどね。
[もう少しだけ、会うのが早ければ違う結果になっていただろうか。
などと思うほど、感傷に浸る性格でもないから。
“彼女“の幸せがそれならば、それを黙って受け止めるだけ。]
オペレーター ゆかり
[例え架空の人物だとしても、それが幸せならばそれで良い。
幸せを壊すほど性格は悪くない。
だから星見千代を否定する材料を渡さなかった。
だから石動はなの不祥事を明るみに出さなかった。
だから恵里佳を引き留めなかった。
売られた喧嘩は必ず買うが。
そうでないならば幸せを否定することしたくない。
それで幸せならば、なおのこと。]
オペレーター ゆかり
…………言われなくても、大事な子ですもの。
しっかり見るわよ。
[誰にとも言わずに声を掛ければ、今度こそしっかりと地に足を付けて歩き出す。
夢は夢のまま終わらせなければならない。
現実を見て歩かなければ。現実に生きているのだから。]
天からの声（村建て人）
ひなびた古書店に、１冊の和綴じの本が置かれていた。
表題は「匂坂村事件考」。
表紙に描かれた白菊の花弁は褪せて尚、白く輝いている。
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