現時点でのアンゼを見ていると言うほど言語化が苦手には見えないね。オキカゼは楽しさを掲げているけれどアンゼを汲み取ろうという人が減れば自然とアンゼの位置は危ういものになるので楽しさ最優先という考えは紙一重とは思った。オキカゼ自身がアンゼの通訳者になればそれで自分(オキカゼ)の有用性は証明できる。有る種下手人が白取り挙動を取って能力に対する信頼とそれ由来の立場を得て輪の中に入り込む事に近い既視感とひっかかりを感じてる。